studioBAKER Novel「Directors Chair」11
スタジオベイカー短編小説「ディレクターズチェア」
第11話「孤独の深まり」
佐伯監督の未完成映画『月夜の囁き』の制作を進める中で、光田浩一は次第に自分自身が孤立していくのを感じ始めていた。仲間たちは確かに協力してくれている。橋本恭平はプロデューサーとして資金の調達に奔走し、カメラマンの井上大輔は美しい映像を撮るために工夫を凝らし、音響技師の渡辺沙織はフィルムの音声解析を続けていた。しかし、その輪の中で光田だけが別の「何か」と向き合わされているような感覚に囚われていた。
夜な夜な映画館に残り、一人で佐伯監督の残したノートやフィルムを見返す光田。あの不気味な影、ノートに記された謎めいた言葉、「暗闇を見つめろ」「影に触れるな」という囁き――それらが彼の心を支配し始めていた。椅子に座るたびに感じる圧迫感、夢にまで現れる影の存在。そして何より、自分の中に湧き上がる得体の知れない感情。光田は次第に仲間たちに話すことをためらうようになっていた。
「話したところで、彼らには理解できないだろう。これは俺だけの問題なんだ…」
そう自分に言い聞かせながらも、光田はどこかで孤独を感じていた。制作の進行状況を話し合うミーティングでも、光田の言葉はどこかとげとげしくなり、仲間たちとの間に微妙な緊張が生まれていた。
「光田さん、少し休んだ方がいいんじゃないですか?」
ある日、渡辺沙織が控えめにそう提案した。
「最近、少し疲れているように見えます。これ以上無理をしたら、いい作品も作れなくなりますよ」
光田は一瞬言葉を飲み込んだが、苛立ちを隠せなかった。
「俺は大丈夫だ。それより、フィルムの解析は終わったのか?まだ分からないことだらけだろう?」
その言い方に、沙織は戸惑いの表情を浮かべた。「進めていますけど、時間が必要なんです。焦っても成果は出ませんよ。だから、少し…」
「分かった。頼んだぞ」と光田は話を遮り、席を立った。彼女の言葉に耳を傾ける余裕がなかったのだ。映画を完成させること以外、頭の中からすべてが消え去っていた。
一方で、仲間たちは光田の変化に気づきつつあった。橋本恭平は、光田と長い付き合いがあるからこそ、その異変を見逃さなかった。
「光田、お前最近おかしいぞ。無理してないか?」
その問いにも、光田は笑ってごまかすだけだった。「大丈夫だよ、これが俺のやり方だ。佐伯監督が目指していたものを完成させるには、普通のやり方じゃ足りないんだ」
だが、その言葉の裏にある疲労と孤独は、隠しきれなかった。
夜、誰もいなくなった映画館に一人残る光田。彼はフィルムを再生し続け、ディレクターズチェアに座りながら佐伯監督の視点を追体験していた。スクリーンに映る影はますます鮮明になり、森の中を歩く男の表情には、どこか光田自身の姿が重なるような錯覚を覚えた。
「佐伯監督…俺はあんたの後を追っているのか?」
光田は椅子に深く座り込み、スクリーンの中の影を見つめた。その影はもはやただの映像ではなく、何か生きた存在のように感じられる。まるで光田に向かって何かを語りかけているかのようだった。
その時、不意に椅子の背もたれがわずかに揺れた。冷たい風が吹き抜けたわけでもないのに、椅子全体がぎしりと音を立てた。光田は椅子から立ち上がり、振り返ったが、そこには何もない。ただの薄暗い映画館の空間が広がっているだけだった。
「これは…俺だけが感じていることなのか?」
光田はその夜、仲間に相談することを一瞬考えた。しかし、言葉にすることで彼らがこの状況を信じてくれるとは思えなかった。いや、それ以前に、自分の中で感じているこの奇妙な現象を言葉にすること自体が怖かったのだ。
「俺が全部解き明かすんだ…これは俺の責任だ」
そう決め込むことでしか、光田はこの孤独と恐怖に耐えることができなかった。
次第に光田の表情からは笑顔が消え、撮影の進行も不安定になり始めていた。仲間たちとの間には微妙な距離が生まれ、彼らもまた、少しずつ映画館とその椅子に潜む「何か」を感じ始めていた。しかし、光田がそれに気づくことはなかった。
彼は深まる孤独の中で、なおも前に進むことを選び続けたのだ。佐伯監督が辿った足跡を追うように。
(第12話へつづく)
(文・七味)