studioBAKER Novel「Directors Chair」13
スタジオベイカー短編小説「ディレクターズチェア」
第13話「失われた記録」
光田浩一は、佐伯監督の未完成映画『月夜の囁き』に没頭するあまり、意識の曖昧さに拍車がかかり始めていた。自分の思考なのか、それとも佐伯監督の記憶に基づくものなのか、判断がつかない瞬間が増えてきた。そんな中で光田は、映画館の管理人から「佐伯監督が最後に残した記録があるかもしれない」との話を聞き、わずかな希望を抱いて再び映画館の奥へと足を運んだ。
管理人に案内されてたどり着いたのは、長年開かれていない倉庫だった。映画館の古びた2階にあるその倉庫は、埃にまみれたフィルム缶や資料が山積みにされており、過去の遺物が眠っているような場所だった。光田は懐中電灯を手に、注意深く中を調べ始めた。
「ここに佐伯監督の資料があるって話だったけど…」と呟きながら、彼は棚の奥から古びた箱を引っ張り出した。箱の蓋を開けると、中にはいくつかのフィルム缶、手書きのメモ、そして撮影台本の断片が詰まっていた。興奮した光田はそのメモを取り出し、ページをめくり始めた。
そこには断片的な言葉やシーンの構想が書き連ねられていた。
「影の正体は…」「森の奥に隠された真実」「振り返ることで解き放たれる」
光田は目を見開いた。その言葉の一つ一つが、自分が感じてきた不安や恐怖とリンクしていた。まるで自分が歩んできた道を、佐伯監督が先に予見していたかのようだった。
さらに奥の棚を調べると、古いカメラと一緒に革張りのノートが見つかった。ノートの表紙には佐伯監督のイニシャル「S.K.」が刻まれている。光田は慎重にそのノートを開いた。そこには佐伯監督の手書きのメモやスケッチがびっしりと詰まっていたが、その中には明らかに異常な内容も含まれていた。
「影が近づいてくる」「彼らは私を見ている」「この映画を完成させることで、私は自由になるのか?」
佐伯監督が影に取り憑かれ、次第に追い詰められていった様子が、言葉の端々に滲み出ている。そして最後のページには、赤いペンでこう書かれていた。
「記録を焼き捨てろ。誰もこれを見てはならない」
光田は手が震えるのを感じた。この記録は、監督自身が遺した「完成させるべきでない」との警告だったのだろうか?それとも、彼が見た恐怖を共有し、真実にたどり着くために遺した手がかりだったのだろうか?
さらに調べていると、奥の箱から未現像のフィルムが数本見つかった。光田は息を呑みながらそれらを取り出した。その一本にはラベルが貼られており、そこには赤字で「ラストシーン」と記されていた。
「ラストシーン…これが最後のピースなのか…?」
光田は急いで映写室へと向かった。未現像フィルムをリールにセットし、映像を映し出す。スクリーンには森の中を歩く男の姿が映し出され、いつもの映像と同じように進んでいった。だが、映像が進むにつれ、今までのフィルムにはなかった奇妙な変化が現れた。
男の後ろに映る影が、徐々に形を変え、人間の姿を帯び始めた。それは次第に明確になり、男の後ろからぴったりとついて歩いているように見えた。そして男がふと足を止め、振り返る。
その瞬間、スクリーンが真っ白に輝いた。
映像は途切れ、フィルムが焼き切れるような焦げた匂いが辺りに漂った。光田は驚いて映写機に駆け寄ったが、フィルムは完全に破損していた。
その夜、光田は再び一人映画館に残り、ノートを見返しながら考え込んだ。佐伯監督が最後に残した未現像フィルムには、何が映っていたのか?そして彼が恐れた「影」の正体とは一体何なのか?
「監督…あんたは何を見たんだ…?」
光田は深い溜め息をつき、ディレクターズチェアに座り込んだ。その瞬間、頭の中に佐伯監督の声が響く。
「振り返るな。影が目を覚ます」
光田の体が凍りついたように動かなくなる。その声は決して幻聴ではなく、誰かがすぐ近くで囁いているようなリアルさを帯びていた。
この夜を境に、光田の中で現実と記憶、そして自分と佐伯監督の境界は、ますます曖昧になっていった。そして彼の中で、映画を完成させる使命感がさらに強まる一方で、それが破滅への道に繋がっているのではないかという恐怖も、同時に膨らみ始めていた。
(第14話へつづく)
(文・七味)