studioBAKER Novel「Directors Chair」15
スタジオベイカー短編小説「ディレクターズチェア」
第15話「侵食される現場」
光田浩一の撮影は、誰の目にも異常なものになり始めていた。
映画館に泊まり込み、数時間ごとにフィルムを見返し、ノートにメモを書き続ける。睡眠はほとんど取らず、仲間たちとの会話も減った。まるで何かに取り憑かれたように、彼は撮影を進めていた。
「これは、佐伯監督が完成させられなかった映画だ。俺が完成させなければならない」
その使命感は、すでに異常な執着へと変わりつつあった。
「光田、もう朝だぞ」
橋本恭平の声に光田は顔を上げた。時計を見ると、撮影の開始予定時間をとうに過ぎていた。
「……悪い、今すぐ始める」
「お前、昨日から寝てないだろ? 顔色がやばいぞ」
「問題ない」
光田はそれ以上の会話を遮るように、スタッフへ指示を飛ばした。
「セットはそのままにしろ。カメラはもう少し低いアングルから回せ。音声はループできるように別撮りしておいてくれ」
撮影が始まると、光田の様子はさらに異様になった。演出の指示は曖昧で、時に不可解だった。
「もっと静かに……声を抑えて……誰かに聞かれる……」
「目線をあそこに向けろ。いや、もう少し右……そう、そこに何かがいるんだ」
演者たちは困惑しながらも、光田の指示に従うしかなかった。だが、スタッフの間では不安が広がっていた。
「なあ、最近の光田さん、やばくないか?」
「うん……なんていうか、一人で何かを見てる感じがする」
「誰もいない場所に話しかけるの、昨日もやってたよな」
小声で囁き合うスタッフの気配を感じながらも、光田は撮影に没頭していた。彼の目には、スタッフたちの言葉も不安も入ってこない。ただ、スクリーンの向こうにいる“何か”が、自分に語りかけてくるのを感じていた。
「お前は、もう見てしまったのだ」
「ならば、最後まで撮れ」
その日の撮影が終わる頃、異変が起こった。
カメラマンの井上大輔が、撮影した映像を確認していた時だった。
「……おかしい」
「どうした?」
「このカット……確かに、昨日撮影したはずだよな?」
井上が再生した映像には、森の中で俳優が佇むシーンが映っていた。問題は、その背景にいた。
「……光田さん?」
スクリーンの奥、木々の間に、光田の姿が映っていた。彼はカメラのフレームに収まるはずのない位置に立ち、じっと俳優を見つめていた。
「何だよ、これ……俺、こんな場所に立ってたか?」
光田自身も困惑した。しかし、井上が別のカットを再生すると、さらに奇妙な映像が流れた。
「……これは?」
森のシーンで、俳優が振り向く。だが、その直前、一瞬だけフレームの端に“もう一人の影”が映り込んでいた。光田ではない。いや、それが“誰”なのか、はっきりしない。ただ、ぼんやりとした人影がそこに立っていた。
「……撮り直しだ」
光田はそう言った。
「光田、おかしいって! この映像、何かおかしいんだよ!」
「いいから撮り直す!」
光田の声が鋭く響く。スタッフは凍りつき、井上は言葉を失った。
「……俺たち、何を撮ってるんだ?」
誰かが呟いたが、光田はそれを無視し、カメラを回すように命じた。
「最後まで撮るんだ。俺が完成させる」
その目は、佐伯監督の映像を見続けていたあの夜と同じだった。何かに取り憑かれたような、焦点の定まらない眼差し――。
スタッフの間に、言い知れぬ恐怖が広がった。光田は、もう「普通の監督」ではなくなりつつあった。
撮影は止まらない。だが、その行く先にあるのは、映画の完成か、それとも――。
(第16話へつづく)
(文・七味)