studioBAKER Novel「Directors Chair」22
スタジオベイカー短編小説「ディレクターズチェア」
第22話「フィルムが描く結末」
映写室の中で、光田浩一は最後のフィルム缶を手にしていた。
それは佐伯監督が封印していた“最終巻”であり、未だ誰の目にも触れたことのないリールだった。
「撮りきった映像ではない。撮ってはいけなかった記録なのかもしれない」
光田は震える指先でフィルムを映写機にかける。
スタッフは誰も呼ばなかった。これだけは、自分一人で向き合うべきだと感じていた。
映写機の回転音が静寂を破り、スクリーンに白い光が灯る。
最初に映し出されたのは、誰もいない映画館のホール。
だが、それは“今”ではなかった。映像の中に映るディレクターズチェアには、若き日の佐伯謙一郎が座っていた。
彼はレンズの向こうに語りかけるように何かを呟いている。音声はない。ただ、その口の動きが異様に生々しく、強い執念を滲ませていた。
スクリーンの奥で、光田の心臓がゆっくりと早鐘を打ち始める。
次のフレームで、カメラがゆっくりとパンする。
空の椅子。
カメラの奥に向かって、誰かが近づいてくる足音。
その“誰か”が姿を現す瞬間、映像は一瞬だけ乱れ、画面が暗転した。
暗転が明けた次のカット。
今度は、森の中。
佐伯監督がかつてロケ地に選んだ、あの異様な静けさを宿す森。
だが、その中心に“二脚の椅子”が置かれていた。
手前の椅子には、光田自身が座っていた。
「……俺?」
光田はスクリーンに映る“自分”に声を漏らす。
そこに映るのは確かに彼だった。撮影中に見せたことのない、何かに囚われたような顔で、カメラを見つめていた。
その背後に、影が立っていた。
黒く、輪郭の曖昧なそれは、カメラの前に立ちはだかるようにゆっくりと光田の横に腰を下ろした。
映像の中の光田が、微かに頷く。
その瞬間、録音機から音声が漏れ始めた。
「記録されるということは、ここに存在するということだ」
「だが、存在が定着すれば、記憶は死ぬ」
光田の呼吸が浅くなる。
これは、佐伯監督が遺した“メッセージ”なのか?
それとも、影が語った“警告”なのか?
映像の中で、椅子に座る二人は見つめ合っている。
そして、スクリーンの中の“光田”がこう言った。
「この映画が完成した瞬間、俺は存在しなくなる」
映像は急にモノクロになり、最後のシーンへと進んだ。
カメラは再びホールへ戻る。
椅子に誰もいない。スクリーンは真っ白に焼けている。
そして、最後の一行がフレームの中央に現れた。
「終わりではない。これは、次の始まりだ」
映像が切れた。映写機が止まり、映画館は完全な沈黙に包まれた。
光田は椅子から立ち上がり、フィルムを丁寧に巻き戻す。
「……これが、佐伯監督の見た“結末”」
だが、その結末は“終わり”ではなく、明らかに“次”を意識したものだった。
つまり――自分自身に向けられた遺言だったのだ。
翌日、ホールにスタッフが集まる。光田は完成したフィルムを持ち、壇上に立った。
「この映画には、決して映してはならないものが映っているかもしれない」
「それでも、俺はこのフィルムを世に出す。なぜなら、これは“記録された記憶”そのものだからだ」
沙織がそっと尋ねる。
「……本当に、完成したんですね」
光田はフィルム缶を握りしめた。
「いや、これは……“始まり”としての結末だよ」
椅子は静かにそこにあった。
まだ誰も座っていない。
だが、その座面は次の記録者の重さを待っていた。
(第23話へつづく)
(文・七味)