studioBAKER Novel「Directors Chair」20
スタジオベイカー短編小説「ディレクターズチェア」
第20話「椅子に刻まれた秘密」
光田浩一は、映画館の旧倉庫の奥で「真実の扉」の先にある小部屋を発見してからというもの、ディレクターズチェアの存在がより重く感じられるようになっていた。
あの扉の向こうには、佐伯監督の姿を捉えた写真が数十枚も貼られていた。そして、そのほとんどの写真には、彼の背後に“影”が写り込んでいた。
光田は今や確信している。
この映画は、何かを記録している。生きている人間の物語ではなく、目に見えない“何か”の存在を――。
だが、それ以上に不気味だったのは、その小部屋の中央に置かれていた、もう一脚のディレクターズチェアだった。
それは、ホールに置かれているものと瓜二つ。しかし、背面には何かが刻まれていた。
──K.S. 1973
「佐伯監督のイニシャル……」
光田はその文字をなぞりながら、深く息を吐いた。
「……1973年、この椅子に何が起きた?」
翌日、光田はホールにある椅子の背面も注意深く確認した。これまで何度も見てきた椅子だが、ある種の“恐れ”が先立ち、じっくり触れることを避けていたのだ。
埃をぬぐい、背面を照らすと、そこにも小さな彫り込みがあった。
──S.K. 1973
「……やっぱり。佐伯謙一郎だ」
2脚の椅子、同じ年に、同じ人物によって刻まれた印。だが、なぜ2脚あるのか? なぜ一方は封印されるように扉の奥に隠されていたのか?
その夜、光田は旧倉庫の椅子をホールに運び、2脚を並べてみた。
奇妙なことに、2脚の椅子を並べた瞬間、ホールの空気が変わった。まるで館全体が“目を覚ました”ような、微かな震えが床を伝って足元から上ってくる。
「……この椅子、ただの家具じゃない」
そう呟いたとき、背後から声がした。
「そこは、“監督の記憶”が染みついている場所だ」
光田は振り返った。だが、誰もいない。
ただ、スクリーンがひとりでに点灯し、いつもの森の映像が静かに流れ始めていた。
映像の中では、佐伯監督が2脚の椅子に囲まれて座っている。片方の椅子にはカメラを構えた佐伯自身、もう片方の椅子は空席。
そして次の瞬間、空席の椅子がゆっくりと動き、背後に影が現れた。
その影は、まるでカメラに撮られることを“望んでいる”ように椅子に腰かけた。
ジジ……ジジジ……
映像が一瞬乱れ、次のフレームには“誰もいない”空間だけが映し出されていた。
光田は理解した。
椅子は、存在を媒介する“記録媒体”そのものだったのだ。
撮られるべき者と、撮ってはならない者。2脚の椅子に座った瞬間、スクリーンの向こうとこちらが繋がる。
それは、監督と“影”の契約の場だった。
翌朝、渡辺沙織がホールに入ると、光田が椅子の前にしゃがみ込んで何かを彫っていた。
「光田さん……何してるんですか?」
彼は振り返りもせずに言った。
「俺も、この映画の一部になるんだ」
「……え?」
光田は、椅子の背にナイフのようなもので何かを彫りつけていた。
──K.M. 2025
「監督……これは、誰のイニシャルですか?」
「俺のだよ。光田浩一……“光田監督”の、K.M.」
沙織は恐怖を覚えた。光田が、まるで過去の佐伯監督と同じ道をたどろうとしているように見えた。
「完成させるんですね……」
光田は小さく頷いた。
「もうすぐだ。この映画の“本当の主役”が現れる。あとは、その瞬間を撮るだけだ」
椅子に刻まれたイニシャルが、誰かの運命を固定していく。
ここはもう、ただの映画館ではない。
記憶と記録、存在と影が交差する“劇場”になったのだ。
(第21話へつづく)
(文・七味)